黄金の門をくぐって

メイベル・コリンズ著『黄金の門をくぐって』の日本語訳を掲載します。

 おそらく今と同じようにこれまでも、かなり多くの人が人生の重荷から逃れるために自殺しようとしてきた。そうすることで完全に忘れ去ることができると確信しているから、そうするのだ。しかし存在の仕方が変化するだけであるとためらい、そしておそらくもっと激しい苦痛の状態があるかもしれないと躊躇し、毒を飲むのをためらう人は、未知の世界の優しさを信用して荒々しく自分自身をそこへ放り出す軽率な魂たちよりも、理解のある人である。忘却の川* は死の川とは全く違う。そして誕生の法則が作用している限り、人類が死によって絶滅することはあり得ない。大酒飲みが大瓶のワインにまた戻って来るように、人はこの世の人生にまた戻って来る――自分ではなぜそうなるのかわからないままで。ただ、ちょうど大酒飲みがワインによって生じた感覚を望むように、人は人生によってもたらされる感覚を望むということだけはわかる。まことの忘却の川は私たちの意識から遠く離れたところにある。そこに到達するには上記のような意識――感覚と感情でいっぱいになりたいという願望――を持って存在することを、やめなければならない。

 なぜ人間という生き物は、そこから生まれて来たところの、大いなる沈黙の子宮の中へ戻らず、人生の推進力が及ぶ以前の安らかな胎児のように平穏の中にとどまらないのだろうか。それは、快楽と苦痛、喜びと悲しみ、怒りと愛を、渇望するからである。間違った人は、自分が生きることへの願望がないと主張するだろう。それでいて生きていることにより、その主張が嘘であることを証明する。誰も無理やり生きさせることはできない。ガレー船に奴隷はつながれても、命を無理に体とつなぐことはできない。人体の素晴らしい構造は、火がつかないエンジンと同じように、生きる意志がなくなってしまったら役に立たない。――生きる意志は断固として維持され中断しない。そして私たちが課された任務を遂行することを可能にする。さもなければ失望に満たされ、生まれてすぐに死んでしまう。このようなすごい努力を不平も言わず、まさに喜んで続けるのも、私たちがおびただしい感覚の中で存在するためであろう。

 そしてさらに、だいたいの人が目標という概念もなく、またはどちらの方向に進んでいるかわからないまま、意図も目当てもなしに進み続ける。この目的のないことに最初に気づき、自分が大きくて絶え間ない努力で働いていることをかすかに自覚し、それらの努力がどの目標に向けられているかについて全く考えがないことに気づいた時、人はみじめな一九世紀の思潮に下降してしまう。その人は道に迷って当惑し、希望を失う。懐疑的になり、幻滅し、疲れ、答えのないように見える次の質問をする。このような未知で理解の及ばぬような結末のために生きるのは本当に無駄ではないだろうか、と。だが、その結末は理解が及ばないであろうか? 少なくとも、もっと小さな質問には答えがあるだろう、つまり目標がある方向を推測することはできないだろうか? という質問には。

 

* 忘却の川、レテ。ギリシア神話で黄泉の国にあり、この川の水を飲むと浮き世のことはすべて忘れるという。(ランダムハウス英和大辞典)

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