黄金の門をくぐって

メイベル・コリンズ著『黄金の門をくぐって』の日本語訳を掲載します。

2章 入り口の神秘 Ⅰ

 間違いなく、人生の新しい段階の入り口では、あるものを捨てなければならない。子供は大人になった時に幼稚なことをやめる。聖パウロはそのことを示し、彼が残した多くの言葉とともに、彼が不老不死の霊薬を飲み黄金の門へ至る道を歩んだことを伝えた。カップ一杯の喜びの中に入れた神の飲み物の一滴一滴により、何かがカップから不浄なものを取り除き、その魔法の一滴の入る場所をつくる。それは母なる自然がその子供たちに物惜しみせずに与えるからだ。人のカップは常にいっぱいに満たされている。もしこの素晴らしい、生命を与える本質を飲むことを選んだなら、その人は自分自身のより低俗でより繊細さに劣る部分を捨てなければならない。これは毎日、毎時間、一瞬一瞬に命の飲み物を増やしていくために為されなければならない。そのことを断固として為すために、彼は彼自身の指導者となり、いつも自分に智慧が必要であることを知り、禁欲生活を実践する準備をし、彼自身に対しためらわず鞭を用いなければならない。彼の目標を勝ち取るために、である。次のことが、この主題を本気で考えるすべての人に明らかになる。自分の中に官能におぼれる可能性も禁欲主義者になる可能性も、両方秘めた人だけが黄金の門をくぐるチャンスがあるのだ、ということである。彼は喜びをもたらしてくれるどんな存在物にも、最も微妙なものを味わい、それを高く評価することができなければならない。さらに、あらゆる楽しみを拒むことができ、そのように拒絶しても苦痛でなくならねばならない。この二重の可能性をのばしてから、彼は喜びをふるいにかけ始めることができ、土から造られた肉体人間に完全に属する喜びを意識から取り除くことを始められるようになる。その肉体人間の喜びを突っぱねたら、もっと純化された喜びのある次の領域が待っている。人が人生の真髄を見つけ出すことができるようになるのは、禁欲的な思想家の実行する方法によってではないだろう。禁欲的な人は楽しいことの中に喜びがあってはならないとし、否認することで次から次へと何もかも失う。しかしいかなる思考の方法にも縛られずに人生そのものを学んだ真の思想家は、殻の中に種が見える。そしてがさつで無頓着な人のように木の実をまるごとガリガリとかみ砕くのではなく、殻を割って取り除くことでものの本質が得られるということがわかる。感情のすべて、感覚のすべてがこのプロセスに適しており、それ以外に人の成長、人の性質の本質的部分の一部を構成し得るものはない。そのために彼の前に力、人生、熟達があり、目標達成への道の部分部分には手助けとなるものがびっしり詰まっている。それらは物質から離れた人生を認めない人々によってのみ否定される。その人たちの精神的なポジションは全く気まぐれなので、衝突したり戦ったりしても無益である。古今を通じていつでも、目に見えないものが見えるものを押しやって、非物質的なものが物質的なものを打ち負かしている。古今を通じていつでも、物質を超えたもののしるしや徴候が、物質にとらわれた人々を試し評価するために待っている。その人たちは勝手に立ち止まる場所を選び、どうすることもできない。彼らを妨げずそのままにしておこう。彼らが、それが存在するものにとって最高の活動であると信じて円輪の中をぐるぐる走るなら、そうさせておこう。