黄金の門をくぐって

メイベル・コリンズ著『黄金の門をくぐって』の日本語訳を掲載します。

 ひとたび黄金の門の意義をよく考えたら、それらの門を通って行く以外の人生の形態はないということが明らかになる。それらの門は、大人になるということの花が実を結ぶ場所にだけ通じている。母なる自然界を必要とする人たちにとって、それは最も優しいお母さんである。そのお母さんは決して子供たちにうんざりしたり、人数が減ることを望んだりしない。そして大勢の群衆に向かって腕を広く広げている。その大勢の群衆は生まれて肉体をまとって存在することを望む。彼らがそうすることを望み続ける間は、自然界の母は微笑んで歓迎し続ける。ではなぜ彼女は、ある人たちには戸を閉ざさねばならないのだろうか? 彼女のハートの中である人の人生がまだ尽きていない時に、その魂の百番目の部分がたとえばその地点で発見した感覚を熱望したとして、その魂の人生を他所へ追いやってしまう理由などあり得ようか? 欲望の種は確実に、まき手がまいた場所に芽を出す。それはもっともなことに思われる。さらにインド人の精神の基礎を成す生まれ変わりや何度も肉体化身する理論は見たところ自明の理であり、もはや実例など必要としない東洋の思想のよく知られた一部分である。インド人は、西洋人がその日一日は一生を構成すると知っているのと同じように、生まれ変わりの理論を知っている。この知識の確実性は東洋人の持つ自然の法則という認識の中に存在する。自然の法則は、魂の存在の大いなる流れを統制する。その認識は単純に思考の習慣により得られるものである。東洋人の多くの精神(マインド)を占めていることは、西洋では思いもよらないこととみなされている。このように東洋人は人類の霊的成長という偉大な花を咲かせたのだ。百万人もの人の精神的模範として、仏陀は黄金の門を通り抜けた。そして群衆が入り口のところで懇願したので、仏陀は言葉を残して行くことができた。それらの言葉は、黄金の門が開くであろうことを示すものであった。

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