黄金の門をくぐって

メイベル・コリンズ著『黄金の門をくぐって』の日本語訳を掲載します。

3章III (1/2)

 では、目に見えぬものに打ち勝つことに関心を向けるという最初の困難がどんなものか考えてみよう。私たちの低俗で濃密な感覚は、普通の意味での「対象」にだけ注意を向ける。だが人生の普通の領域のすぐ向こうに、より微細な感覚器官に訴える、微細な感覚作用がある。ここにおいて私たちは必要な足がかりへの最初の糸口を見出す。この見地つまりたくさんの光線(rays)や線(lines)が集中する一点のような見地から、人はものを見るようになる。さらに、もしその人が生命の最も単純な形態から自分自身を切り離す勇気あるいは関心があるのなら、この一点と、これらの線や光線に沿うわずかな距離の道を探検する中で、彼の全存在が広がって大きくなり、成長し始める。ただし明らかなことは、もしこの説明を正確に正しいものとして受け入れるならば、主要な意義あるポイントは、一つの線やもう一つの別の線に沿って探検することではない、ということだ。もしそうするなら、結果はおぞましく変形したものとなるに違いない。私たちはみな、次のことを知っている。森にある一本の木に、威風堂々として立派な風采があるとしよう。その木には呼吸するに十分な空気があり、根を伸ばす余地があり、絶えざるタスクを成し遂げていく内的な活力があったから、立派に育ったのだ。そのことは完璧な自然界の成長の法則に支配されている。そしてこの事実から独特の畏敬の念が生じる。
どうすれば内なる人間を認識でき、その成長を観察し、養うことができるだろうか?
私たちが道しるべを手に入れたこの道を、ほんの少しだけ先に行ってみよう。でも言葉はきっとすぐに役に立たなくなるだろう。
私たちは皆それぞれ、助けなしで一人旅をする。旅人は一人で山を登るにつれ、山頂に近づく。そこではロバは重荷を運んでくれない。低俗で濃密な感覚も、その感覚に触れるものも、旅人を助けてはくれない。しかし言葉が少しの距離の道づれになってくれるかもしれない。(つづく)