黄金の門をくぐって

メイベル・コリンズ著『黄金の門をくぐって』の日本語訳を掲載します。

4章 苦痛の意義 Ⅰ

 深く生命の本質をのぞくと、その本質から人の人生を暗くしようと苦痛がやって来る。苦痛という名の魔女は、いつでも入口のところにいて、彼女の背後には絶望が立っている。

 このやつれた姿の二人は何者で、なぜ私たちを絶えず追って来ることを許されたのだろう?

 それを許したのは私たち自身だ。私たちが体に行動することを許可したり指示したりするのと同じように、あの魔女たちに絶えず追って来るよう指示したのだ。しかも、無意識に。だが科学的な実験と調査により、私たちは肉体の生活についていろいろなことを知り、そして霊的生活に関しても似た方法を用いて多くの成果を得られるかのように思っている。

 苦痛が生じ、弱まり、粉々に砕け、滅する。十分に離れた見地から見ると、苦痛は薬に、ナイフに、武器に、毒に、代わるがわる変わって見えてくる。それは道具である。どうやら使われるものであるようだ。知りたいのは、それを使う者は誰かということだ。私たち自身の中のどの部分が、休息することを嫌って、この道具があるかと尋ね求めるのだろうか?

 薬は医者に使われ、ナイフは外科医に使われる。しかし破壊の兵器は敵、憎む者によって使われる。

 それならば、魂の利益のためにそれを使うか、あるいは使うことを望むだけでなく、自分自身の中で争い、内なる至聖所の中で戦いをするためにそれを使うのだろうか?どうもそのようだ。人間の意思は苦痛を見てリラックスしてしまったら、苦痛の存在する状態において、生命を維持できなくなるであろうからだ。どうして人は自分自身を傷つけることを望むのだろうか?

 その問いに対する答えは、一目でわかるだろう。その人はおもに喜びを欲し、戦いの場でもその喜びを意欲的に保ち続けようとするのだが、そこではその喜びが、彼の所有の苦痛と戦い、常に喜びが、勝って彼を喜びの待つ家に連れ帰りたいと望んでいるのだ。これは人の永遠の性質として、その人の状態を成す。彼自身は、苦痛は喜びと相互に統治する支配者であることと、戦いをしても絶対に勝てないだろうことを、心の中では知っているのである。表面的な観察者は、人は避けられないことを甘んじて受けるものだ、という結論を下す。しかしそれは議論するに値しない間違った考えだ。もう少し真剣に考えると、人間は自分の建設的(ポジティブ)な性質を修練せずに存在することは全くできないとわかる。このポジティブな性質の修練をして生きることは、人が選んだ状態なのだという仮定は、筋が通っている。

 なるほど、それなら人が苦痛を望むということを議論するために聞くが、なぜ人は自分自身を悩ませる何かを望むのだろうか? 

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