黄金の門をくぐって

メイベル・コリンズ著『黄金の門をくぐって』の日本語訳を掲載します。

 人の魂にとって何よりもまず必要なのは、本当の人生を見つけるための大きな努力に従事することであるが、そのことは子供が最初に体の機能を欲するのと同じである。子供は立つことができなければならない。魂の中の立ち上がる力、平衡の力、集中の力、直立の力は、際立った特質であることは明白だ。この特質を最も容易に示す言葉は「自信」である。

 人生とその変化のただ中で、じっと動かぬままでいること、そして選んだ地点にしっかりと立っていることは、自分自身と自分の運命に自信がある人にのみ、成し遂げられる偉業だ。さもなければ人生のせき立てるやり方が、人々の氾濫の急襲が、思考の大洪水が、その人を必然的に運び去り、偉大な事業を始めることが可能な意識の置き場所を失ってしまうだろう。このことは意識的に為さ「なければならない」し、外部からの圧力なしで為さねばならない、生まれたばかりの人間の行為なのだ。この世の偉大な人たちはみな、この自信を持っており、全世界の中の堅固な地点にしっかりと立った。この場所は必然的に人それぞれに違っている。それぞれがそれぞれの地と天を見つけなければならない。

 私たちには苦痛を和らげたいという本能的な願望があるが、他のあらゆることと同様、外面的に働きかける。単純に苦痛を軽減し、さらにそれを続け、最初に選んだ要塞から追い払うと、勢いを増した苦痛がまたどこか別の場所に現れるのだ。物質界のレベルで、根気強く効果的に努力し、ようやく苦痛を追い払ったとしても、誰にも触れることのできない精神や感情のレベルに再び現れる。そのことは、感覚のさまざまな段階を結びつける人たちと、付加的な啓示により人生を見る人たちには、たいへんたやすく見て取れる。人々は習慣的に、これらの感情のさまざまな形体を、現に別々のものとみなす。ところが実は明らかに、それらは一つの中心、人格の一点の、異なる側面にすぎない。もしその中心に現れるもの、つまり生命の源が、ある妨害となる行為を求め、そしてその結果、苦痛が生じたとすると、そのようにして要塞から追いやられた力は別の要塞を見つけ出す。それを追い出すことはできない。さらに、感動や苦しみを引き起こす人間生活のすべての融合は、感動そのもの・苦しみそのものの目的と使用のためにあるだけでなく、楽しみのためにも存在する。両方とも人の中に住まうことであり、両方とも現れる権利を要求する。すばらしくデリケートな人体の骨格のメカニズムは、最もかすかな接触に反応するために作り上げられている。人間関係の並外れた複雑さは、人を進化させる。言ってみれば、それはこれら二人の敵対者の魂の満足のためなのだ。

 苦痛と喜びとは、はっきり違った別々のものであり、ちょうど二つの性別と同じである。そして結合し、二つが一つになる中で、歓喜と深い感情と深遠な平穏が得られる。そこにあるのは男性でも女性でもなく、苦痛でも喜びでもなく、人の内なる際立った神であり、それから人生は本当のものになる。

 このような方法でその事について述べると、安全柵の向こうから反駁されていない自らの主張を述べる、多すぎる数の独断主義者たちに花を添えてしまうかもしれない。けれどもそれは、科学者の新しい方向への努力の記録が独断主義であるときのみ、独断主義である。もし黄金の門の存在が真実であると証明できず、ただの風変わりな夢想家の幻想ではないと証明できないならば、それらについて語ることに少しも価値はない。一九世紀に厳しい現実や、既存の基準に合った議論だけが人の心に訴えられた。そして多くのことが、より良くなった。私たちが前に向かって進む人生が、だんだん真の、現実のものになっていかないのなら、人生に価値はなく、それを追い求めるのは時間のむだである。現実性は人の最高に必要なものであり、すべての危難に際して、どんな代償を払ってでも必要とするものである。そうあらしめよ。そうする人の正当性を疑う者はいない。ならば、現実性を探しに行こう。